高田将利(たかたまさとし)
1982年神戸生まれ。中学入学より学校のジャズビッグバンドに所属しトランペットを始める。高校時代には全額奨学金を貰いバークリー音楽大学のサマープログラムに参加。大学ではビッグバンドに所属し、「山野ビッグバンドジャズコンテスト」入賞。
2011年 Rittor Music主催「最強プレイヤーズコンテスト」の管楽器部門で準グランプリを受賞。
現在はジャズ、ポップス系を中心に数多くのバンドやレコーディングに参加。東西南各所の大手テーマパークでのショー演奏やアーティストバック演奏など国内外でのイベント演奏、学校音楽鑑賞演奏、音楽レッスンなどジャンルを問わず幅広く活動中。
近年のレコーディング参加作品(ごく一部)円広志CD「おかんの呼ぶ声」、もんたよしのり遺作CD「グッバイ・ブラザー」、旧ジャニーズ事務所アイドルグループCD、ゲーム音楽、舞台音楽、大手テーマパークCM曲、JR西日本CM曲、大手ジムCM曲、他TV等メディア用音源多数
近年の共演アーティスト(ごく一部、敬称略):もんたよしのり、横山剣、大黒摩季、高岡早紀、Ms.OOJA、山本彩、クリスハート、大平サブロー、円広志、木村充揮、ぼんちおさむ、八代亜紀、南佳孝、沢田知可子、城南海、上田正樹、夏川りみ、大橋純子、阿川泰子、中西圭三、矢沢永吉、二井原実、中川大志、二宮愛、大山太徳、Barbara Tucker、Natasha
Watts、NHK歌番組で大物演歌歌手の皆様多数(千昌夫、美川憲一、鳥羽一郎、山川豊、長山洋子、香西かおり、水森かおり、キムヨンジャ、瀬川瑛子、三山ひろし、他多数)など
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1982年3月5日神戸生まれ
戌年、魚座、B型
Jazzとの出会い
1993年(小6)音楽会でSing Sing Singを音楽の先生が編曲しリコーダーで演奏
1994年(中1)甲南中学入学より、学校のジャズビッグバンドに所属しトランペットを始める。
私学の中高一貫校。パート別練習室があり中高の先輩から教われる、当時高校はStudent Jazz Festivalの1位入賞常連校という、いい環境で中高時代を過ごす。
小学校の時通っていた塾の先生の勧めで、いつの間にか受験クラスに。流れで中学受験することに。自宅から近い中学は六甲中学と甲南中学。六甲中学のほうが近かったが受験科目に社会があった。社会は大の苦手で、受験科目が算数・国語・理科の3科目でよかった甲南中学を選ぶ。
中学受験をしたため、甲南中学入学当初、友達は塾が一緒だった三村くんだけ。彼とクラブ見学回って、意見の一致したブラバンに体験入部。とりあえず入口から一番近い場所で練習していたトランペットを体験。数日して彼は他の楽器も色々体験してサックスに転向。僕はその数日で練習したことがゼロになるのかと思いトランペットにとどまり現在に至る。
1998年(高2)Student Jazz Festivalの審査員として来ていたタイガー大越さんから特別賞を頂き、全額奨学金にて1999年 バークリー音楽大学のサマープログラムに参加。
高校は理科と数学が得意だったので当時出来立てホヤホヤだった甲南高校理数コースに進学。高校入試の理科はトップの成績だったらしい。 物理は3年間成績トップだった。
東京への演奏遠征、韓国済州島やハワイへの演奏旅行。渡辺貞夫(sax), 日野皓正(tp), David Matthews(pf), Low Soloff(tp), George Young(sax), Jim Pugh(tb), 数原晋(tp)らと共演
2000年、当時山野ビッグバンドジャズフェスティバルで上位入賞しまくっていた大阪大学New Wave Jazz Orchstraに憧れて大阪大学を受験するも、予備校も行かず短い受験勉強期間で合格できるわけもなく、甲南大学理学部物理学専攻へ推薦進学。
朝、右胸に違和感を感じるも授業があるので大学へ行こうと家を出たが途中動けない程痛くなりタクシーで病院へ。右肺に穴が開いており、そのまま入院。脱気処置&1週間の入院で回復。
2001年~2002年(大1~2)甲南大学Newport Jazz Orchestraに所属
2002年「山野ビッグバンドジャズコンテスト」8位入賞
2001年山野に向けてバンドメンバー皆で坊主に。その後ずっと同じ髪型に。 2002年バンドは8位入賞。後に個人賞次点だったとSwing Journal誌の守屋純子さんの記事に。
中高大の2つ上の先輩に黒田卓也Tp、2つ下の後輩に広瀬未来Tpがおり。その他の楽器でも後にプロで大活躍する先輩後輩が多数。 自分は才能が無いことを実感。プロ音楽家になるつもりは全くなかった。
大学卒業時、成績優秀者として表彰を受け、研究室の教授らに勧めもあり大学院に進学。 大学院では物性物理学を専攻し海外への論文投稿、カナダで開かれた国際会議での発表を経験。
今は亡きプラズマテレビの部品開発に携わる。当時大型の薄型テレビが家庭でも普及し始めたころ、60インチのTVが50万円台、1インチ1万円以下で買える時代が来たぞ!と。プラズマvs液晶時代で開発はクソ忙しかった。
2008年1月、ふと入った家電量販店でプラズマテレビ、37インチ25万円で衝動買い。(お店の人の勧めや、値段を考慮すると自社プラズマテレビよりも他社プラズマテレビの方が良かったので他社品を購入)プラズマテレビは発熱が多く、暖房の要らない部屋になった。
年1回~2回、テレビの新モデルが出る。半年前に考えに考え抜いた部品を半年後には超えたものを開発しなければいけない。何億円もかけた試作品が失敗に終わることもある。長時間残業は当たり前、開発追い込み時期には早朝出勤もしばしば。金かかる部署なので給料なんてほぼ上がらない。そんな中、アマチュアミュージシャンながら多方面に演奏活動に呼んでいただいており、今考えると睡眠不足が続き意識が朦朧としていた時期もあったかも知れない。
今度は左肺に穴が開き、2度目の自然気胸。何度も穴が開く⇔閉じるを繰り返し、何度も入退院。開胸手術を決意し完治。お医者さまに感謝。
リーマンショック、韓国メーカーの台頭等々により、まず契約社員が契約更新されずいなくなり、だんだんと後輩達が別部署に飛ばされ。残業代も出なくなり、高卒OLか!という手取り月給に。
もともと開発や研究大好き!研究開発のためなら何時間でも働けるわ!という感じでもなかったため 2010年辺りから転職を考え始める。そしてついに私自身も全く知識も経験もない他部署へ飛ばされる。
会社の合間に一般企業の面接を受けたり、近所の整体スクールに高い事業料払って通い「このコースを修了すれば独立開業も出来ます」という整体の民間資格を取得。
この間もアマチュアバンドの演奏や、プロバンドに誘われ仕事演奏に顔を出したりしていた。 夜晩御飯の時間も勿体ないので電車でおにぎりを早食いし、駅のロッカーに入れた楽器を取り23-24時でスタジオへ個人練習にという日々も
2011年 Rittor Music主催「最強プレイヤーズコンテスト」管楽器部門で準グランプリを受賞。
会社を辞める動機付けの一つになればと、コンクールなどを探していると発見、応募。 2011年 Rittor Music主催「最強プレイヤーズコンテスト」に応募、管楽器部門で準グランプリを受賞。
この頃にはグループ企業全体で何千億円の赤字といったニュースをよく耳にする。 2011年飛ばされた先の課長との面談の際に退職を考えている旨を伝えると「辞めるのはちょっと待っとけ、グループ会社全体で大規模希望退職を募る噂がある。」と。数ヶ月後に大規模希望退職の案内が。
2012年3月末日 大規模希望退職の流れに乗って退職。
退職直後は、音楽一本でやっていく自信もなく明日の仕事が応募できる派遣バイトに登録していた時期もあったが(同時の時給800円程度。学生よりもおっさんフリーターが多い現場に行かされる事が多く「こ〇すぞー!」と叫ばれたり、糞みたいに扱われる仕事が多数ありましたが)1年もすることなく。整体の資格も活かすことなく。レッスンや大手テーマパークのパレード演奏など、イベント演奏に多く呼んでもらい。
27,8歳まではプロ演奏家になる気は全くなかったが30歳で脱サラ。専業ミュージシャンに。
その後は順調に仕事をもらい、音楽のみで生計が(皆様に感謝)。
音大もいかず、大学院へ進み、6年間サラリーマンを経験し、音楽的には遠回りをしましたが。どんなに休みがなくても、ハードな仕事もサラリーマン時代の事を考えれば天国。人格形成に大事な6年間でした。
現在は数多くのライブやイベント演奏などに参加しジャンルを問わず忙しく多方面で活動中。